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やってみる 投稿者:猪熊芳則 投稿日:2008/08/10(Sun) 22:26 No.282
前に書いたからわかっていると思うが、俺はド田舎の小学校の先生のどやされ、図工が苦手になった。ここの小学校の先生達はまるで、夫婦喧嘩のストレスのはけ口にしているかのように、生徒をしかった。このような状況では図工に対してやる気など起こらないのは当然で、俺は先生への反発から図工に対して手を抜いたりもした。そんな俺に転機が現れる。とにかく不器用で、さっきまで使っていたボールペンの置き場所まで忘れてしまうくらいだから俺は相当な不器用だろう。当時中学生で、いつまでも不器用ではたかが「技術家庭」と言えど内申書の響く。そこで俺は血が滲むような努力を開始する。
もっとも技術の先生の教え方も悪く、授業内の作業が3分の2のヤツが終わらないんだから、この教師は失格だ。10代までの俺の考えが「努力して報われないことなんてひとつもない」だから、必死になってやってみる。当時この「やってみる」も俺の中で財産となる。「やってみる」ということは世間的には言い逃れでもしようとの消極的な言葉だが、そもそも出来ないモンが出来るはずなんてない。それをやってみようとするんだからこれ以上に積極的な言葉があるはずなんてない。それでとにかく俺は「やってみた」
俺の人生は、「当たって砕けろ」だが、本当に砕けたケースが多い。そんな中不器用はどうにかなった。今でも不器用だが、「不器用はまず不器用を知る」ことなんだ。どうか声を出して言って見てくれ。
確かに図工や技術を「学力」と考えると途端に面白くなくなる。下にも書いたが、ドラクエのモンスターをモデルに図工でやって楽しんでいると、不器用な俺でも入選された。学校はまず、図工を楽しむことから教えるべきだろう。
広い視野に立って 投稿者:岩田智弘 投稿日:2005/11/07(Mon) 00:58 No.15
全道の研究集会において、少なくとも参加された方々には、今の図工美術の本当に危機的な状況について感じていただけたのではないでしょうか。
教員同士はもとより、何よりも教員以外の方々への発信が今は本当に必要なのだということです。図工美術教科の必要性がいったい何なのか?人間形成に関わるとは具体的にどんなことなのか?もっともっと砕いて言えば、「図工美術=絵・作業」だけではないということ、その内側に秘められた深い部分がどれだけ大切かということ。そういったことを「学力」という思念に縛られ、見えなくなってしまっているということに気がついてもらうことが「早急」に必要なのです。
その成果がすぐに表出することが難しい教科である図工美術の必要性を、このような状況であるとはいえ早急に対応しなければならないもどかしさがありますが、今まで悠長にかまえてきてしまった我々図工美術教師の責任でもあると改めて受け止め、今、動き出さなくてはならないと思います。
図工美術がなくなってしまったら… それこそバーチャルではなく、よりリアルに想定してみてほしいと思うのです。
Re: 広い視野に立って 山崎正明 - 2005/11/07(Mon) 07:26 No.17 ![]()
「図工美術=絵・作業」だけではないということ、その内側に秘められた深い部分がどれだけ大切か。そういったことを「学力」という思念に縛られ、見えなくなってしまっているということに気がついてもらうことが「早急」に必要なのです。」本当にそうですね。そとから見える美術教育のイメージ。美術教育の成果は全国一斉テストではかれるものではありませんしね。そう教科が消えたおそろしさについては、もと筑波大学教授宮脇理先生が以下のように書かれています。
http://user.biken.dyndns.org/square/blog/archives/2005/10/if.html
Re: 広い視野に立って 猪熊芳則 - 2008/08/06(Wed) 18:49 No.281
確かにその通りだろう。
俺の小学校なんか不器用な俺ばかり怒るから、図工なんて面白くなかった。
図工を学力とするより、「モノを作る楽しさ」を学ばさせた方が良い。
俺なんか不器用を克服したから、今ではプラモデルとかも好きになった。
教師たる者そういうことを教えるべきだろう。
ハッピーイースター卵あそびコンテスト作品募集 投稿者:イセ文化基金 投稿日:2006/12/01(Fri) 16:02 No.147 ![]()
はじめまして。突然の書き込みお許しください。
イースターエッグにまつわるコンテストを主催しておりますイセ文化基金と申します。
美術教育の関係者の方、ご父兄の方にご興味いただければ思い、書き込みさせていただいております。
この催しは、卵を使った作品制作を通して、親子のふれあいや卵の殻の再利用によるリサイクル向上、創造性の発達を促し、
子供から大人までの世代を超えた情操教育とふれあい、芸術やアートへの興味・関心を喚起し造詣を深くすることを支援、文化向上と社会貢献を目的としております。
詳細は、参照先HPをご覧くださいませ。
皆様のご参加をお待ちしております。
よろしくお願いいたします。
図工と未来問題解決プログラム 高橋りう司 - 2006/12/10(Sun) 23:56 No.149 ![]()
イセさんは卵のお仕事で、図工と創造性への関心をおっしゃっています。
僕たちの『創造力メルマガ』で1昨日の出題は、小鳥に関するものでした。大分、関係があるなとw
僕たちは、子どもの創造力トレーニングとして、図工、絵を描いてもらうことを良くしています。
参考までに出題を下記に貼り付けます。
【1208の出題】
窓辺に、かわいい鳥が飛んできて、とまりました。
あなた・人間が室内を見ているのとは違う見え方をしているかなと思うのですが、さて、どういうふうに見えているのかを絵に描いてください」
ただ、目の低さだけを意識した室内絵を描けばよいのでしょうか?
2月9日しめきり 投稿者:山崎正明 投稿日:2007/02/05(Mon) 21:23 No.175
http://ganbarezukou.net/index.html
図画工作を大事にしていくための署名が2月9日、〆切となります。
できる限りのことをしていきませんか。
俺は賞を取った事があるのだ。 投稿者:猪熊芳則 投稿日:2007/10/16(Tue) 18:55 No.248
俺は図工、技術が2だったため、惚れ惚れするくらい芸術に才能はないのだが、賞は取ったことがある。それは、ある物語の絵と言うかイラストと言うかの作品だった。下手の横好きというかドラクエのモンスターのパクリを使うとそれが何と入選されたのだ。
なるほど、たとえ才能がなくとも楽しんでいる感覚で絵を描くとそれは、周囲や「美術の先生」にも伝わるものらしい。俺は職人気質なとこがあるから、知識や技能を学ぶのが好きだ。「筆の使い方」なんて言葉を聞くとコドモのようにはしゃいでしまうんだ。
ただ、それはヘタクソはヘタクソの理論で、なぜ進歩がないかと言うと、ある程度の場所に行くと上達がなく、おまけにすばらしくヘタクソな作品に気を悪くしてやめてしまうのである。はぁ〜。
図工、技術は2だった。 投稿者:猪熊芳則 投稿日:2007/09/26(Wed) 23:55 No.246
俺は図工、技術が苦手だった。不器用な俺は人より遅い上、ヘタクソだったからだ。クソ教師にみんなの前で立たされ怒鳴られるのは、今考えても腹が立つ。いつも提出期限が遅れるならば、そうさせないようにするのが、教師の配慮であろう。自分の器量不足を生徒のせいにするこのクソ教師は今やればマスコミの絶好の餌食になるであろう。
間違いない!
だから、工作が嫌いだ、というわけでもない。俺の古い友人で、プラモデルを嬉しそうに俺に見せにきた。
「暇だなお前。そんなことする暇があったらバッティングセンターで汗流してこい」
「暇だからするんだよ。これで1ヶ月は、楽しめるぞ!」
確かにそうだ。暇というのは心のことで、何か充実感が欲しいからなんだ。その事を聴いたからかどうだが覚えてないが、俺も工作をするようになった。俺は克服をゲームみたいに楽しむ傾向があるので、金もかからないし、という事で小学校のときにやったような工作をする。
小学校の時、なぜこんなことが難しく思えたのかと思うくらい大人になると簡単だ。で、出来栄えはというと、一応部屋に飾るが、ダチに
「何だあのヘンテコなモノは?」
と言われるほどの腕前である。世の中結果が全てではないと、スネてビールを呑む俺なのである。
「図画工作・美術なんでも展覧会」のご案内 投稿者:山崎正明 投稿日:2007/03/14(Wed) 01:30 No.199
07年3月14日よりうらわ美術館で「図画工作・美術なんでも展覧会」が開催されます。せっかくの展覧会ですので、この掲示板の利用を考えました。http://yumemasa.exblog.jp/6445173/
《展覧会の主旨》
今日、学校教育における図画工作科及び美術科の位置付けは必ずしも高いとは言えません。
学力低下の危機感の中で、学力を数値化しにくい図工・美術は蚊帳の外といった観もあります。私たちは図工・美術で培う学力をわかりやすく国民に十分説明してきたでしょうか。
図工・美術は明治以降今日まで、その時代時代に合った重要な役割を果たし、日本の発展と、子ども達の人格の完成に寄与してきました。
図画工作・美術に求められる学びの内容も、今の子どもたちの親世代と比べて変化し、時代とともに変容し進化しています。
本展覧会では今日までの図画工作科、美術科が歩んできた道のり踏まえ、現在の図画工作科・美術科の魅力を伝え、今の子ども達にとってなくてはならない教科であるということをを広く社会にアピール する機会としたいと思います。
また、これからの図画工作美術の行く先を予感する取り組みや、図工・美術を支える組織などの展示を通し図工・美術を様々な角度から紹介する展覧会にします。
文教大学 三澤 一実
図画工作科・美術科 なんでも展覧会 実行委員会
展覧会は4つの章で構成されています
第1章 たくましく生きる〜図画工作科・美術科の変遷
明治期から今日まての図工美術の変遷を当時の教科書や、美術教育に関する
本、記録映画などから見せていく。
・教科書、資料 (明治時代の教科書も展示!)
・ヒテオ「 絵を描く子どもたち1956」「 くらしを描く1966」
・学習指導要領の変遷
第2章 創造する子どもたち〜教室の今
今、学校現場で行われている図画工作・美術の学習を児童生徒の作品と、教師の題材開発から見せていく。
・子どもの作品 + 教師のまなざし(解説)
・題材紹介(パネル)+ 実践作品
・教材紹介(パネル + 実物)
第3章 教室をとびだして〜交流する美術
教室を飛び出し自由になった造形活動は、ワークショップやアー トプロジェクトという形で盛んに行われるようになってきた。
・美術館から子ども達へ
・ワークショップ研究会より(パネル+制作物)
・美術と福祉(パネル)
・その他 NPO の活動など
第4章 子どもたちへのまなざし〜つながる美術教育
図工美術は様々な組織や団体に支えられている。これからはこれらの組織が有機的につながり、ネットワークの中でより創造的な図工・美術を生み出してく必要がある。
・埼玉件美術教育連盟
・全造連
・インセア
・研究所その他の団体・組織・NPO
はっきりいって不必要! 投稿者:死狼 投稿日:2006/09/25(Mon) 01:58 No.91
私は、学生時代、美術の時間が最高に苦痛でした。
絵というものを描く事が全く出来ないからである。
特に美大出身の教師は「変なエリート意識」に凝り固まり、私の様な者を「バカ扱い」します。
当然、こんな事が続いたので授業はサボっていました(美術以外は、まあ良い方だったので進学はできました)。
美術の授業など必要ありません。はっきりいって。
「絵を描ける」という歪んだ「優越感」に浸ってるバカがツケ上がるだけですから。
私は子供に絵を描かせません。自分と同じ苦しみを味あわせたくないし、第一、社会人になってから必要な知識ではありませんし。
私は美術教育に対して「激しい憎しみ」しかありません。
色々な書物を読みましたが、殆んどが「絵を描けない奴は劣等人種」と言いたげな論調が見受けられます。
そんな「差別意識と歪んだ優越感」に満ち溢れた美術教育が子供にとって必要なのですか?
むしろ「美術はNO!」という「権利(他の科目との選択)」を与える方がベストだと思いますが。
この文章は「荒らし」ではありません。「美術教育の犠牲者」の意見を聞いてもらいたかった故に書きました。
以上のことについてどう思われますか?
お答えください。
Re: はっきりいって不必要! corvo - 2006/09/25(Mon) 19:40 No.92 ![]()
死狼さん、初めましてcorvoこと小田隆ともうします。
私は業として絵を描いており生計をたてています。また、高校の非常勤講師として美術を教えているものです。
私は地方の進学高校を卒業しました。その高校では数学の授業に力をいれていましたが、数学ができない人間は認められないという風潮がありました。
お恥ずかしい話、私は数学のできが悪かったのと、そういった風潮から数学に興味を持つ事ができず、また努力もしませんでした(中学の数学の成績は人並み以上でしたが)。確かに高校生の時、数学に対して憎しみを持ったこともありましたが、現在は自分の努力が足らなかったことを後悔しています。
数学が社会にでてから必要な知識かというと、必要である人もいるし、必要でない人もいるでしょう。でも、「数学」は人間社会にとって重要であり必要なものであると思います。
美術を始めとする芸術もそうではないでしょうか。ある個人にとって知識や技術として必要でなくても、人間社会にとって不可欠なものであると思います。
この世界から、まったく芸術がなくなった状況を想像してもらえればわかると思います。
死狼さんが、個人的に「激しい憎しみ」を持っている事は否定しません。
しかし、それをご自分の子供さんにまで強要するのはどうしてでしょうか。子供さんは絵を描く事をいやがったのでしょうか?自発的に描きたいと思った事はないのでしょうか?
「差別意識と歪んだ優越感」の存在は美術だけの問題ではなく、ほかの分野にもあることではないでしょうか。
私自身は美術によって救われた人間です。
私は個人的に美術を理解できない、美術の知識がない人が増えると非常にこまてしまいます。仕事がやりにくくて、しょうがなくなります。
ご意見、お待ちしております。
勉強はやればできる、でも美術は・・ 死狼 - 2006/09/25(Mon) 23:19 No.93
勉強は物理だろうが外国語だろうが「結果」というものがありますから、やればだれでもできます。
しかし、絵を描くという行為は人間の本能にかかわることであり、「努力」をしても「できないものはできない」のです。それをあなたはわかっていないみたいですね。
本人にとって「空気」の様な存在であっても、人によってはそうならないということです。
子供に対しては「絵など描く必要など無い」と物心ついた頃より啓蒙しています、かつて自分がそうであった様に「音楽・美術・体育は1でもかまわない。でも、それ以外の科目は1は許さない。」という方針で教育しています。子供も納得しています。
>「差別意識と歪んだ優越感」の存在は美術だけの問題ではなく、ほかの分野にもあることではないでしょうか。
特に美術の分野はひどすぎます。「天狗」になった奴ばかりです。
正直、タリバン時代のアフガニスタンの様に学校から美術の授業が消えてくれる事を願っています。
Re: はっきりいって不必要! 山崎正明 - 2006/09/26(Tue) 00:28 No.96
しろう様(投稿者名が漢字で書かれていますが、申し訳ありません。抵抗感を感じますので、ひらがなで書かせていただきます。)の言われることはわかりました。
つまり「美術教育の犠牲者」の意見を聞いてもらいたかった故に書きました。」ということについてです。
そのような事例もあります。残念ながら。美術教育の研究会の中でも話題になることがあります。そんな指導法では美術嫌いをつくってしまうとか。
今後書かせていただいたものも参考にさせていただきます。このようなとらえ方や感じ方がありますということで話題にできると思います。
なお、この掲示板は2ちゃんねるのようにしたくはありませんので、「「天狗」になった奴ばかりです。」と思うに至ったのでしょうが、「奴」という言い方は控えていただきたいと思います。
また「タリバン時代のアフガニスタンの様に」という表現もこの掲示板の管理者として望んでいることではありません。
なお、気持ちについては受けとめさせていただきます。そう思わせる原因があったのでしょうから。
Re: はっきりいって不必要! corvo - 2006/09/26(Tue) 03:11 No.97 ![]()
死狼さん、お返事ありがとうございます。
私は努力をすれば、誰でも絵が描けるようになるとは思っていません。身体を使った表現行為であるため、フィジカルな部分のコントロールも必要ですし、思い通りに線が引けるようになるには大変な訓練が必要です。
「努力」をしても「できないものはできない」です。だからといって、最初から「努力」を放棄することは得策ではないと思います。
私は歌が上手くないし、楽器をひくこともできません。子供のとき嫌々習っていたピアノは、7年ほども続けたのに今では1曲もひくことができません。それでも音楽は好きですし、日々楽しんでいます。
私にとって美術や芸術は「空気」のような存在ではありません。不可欠であるという点では「空気」と言えるかもしれませんが、常に意識して対峙している世界です。
絵を描く行為が「人間の本能にかかわる」ということですが、分かりやすく説明していただけないでしょうか。もし「本能にかかわる」行為であるならば、死狼さんが美術の存在を否定することは矛盾しているように感じます。
ご家庭の教育方針に関しては、私は否定も肯定もしません。ご自身の責任で信じる道を全うされればよいと思います。
一つお願いがあります。死狼さんはどういった方なのか、ネットで公開出来る範囲で教えていただけないでしょうか。どういった職業についていて、もし大学を卒業されているなら何を専攻されていたのか。もし、差し支えなければ美術教師から、どんな酷い行為を受けたのか具体的に書いていただけないでしょうか。
私のプロフィールは、私のサイトで見ることができます。お互い、どういったバックグラウンドを持っているのか分かったほうが、より突っ込んだ議論が可能ではないかと思います。
善処していただければ幸いです。
歴史学徒として一言申す! 梅痴鴉 - 2006/09/26(Tue) 07:09 No.98 ![]()
はじめまして。
国史を学んでいる学徒の一人です。死狼氏の知人としてこの議論の反論をさせていただきます。
>美術の授業など必要ありません。
そうは考えない。私は最近、社会学と哲学を学んで美術は絶対に必要と考えるに至っています。逆に、美学軽視が現在の刹那主義を生み出している風潮を生み出しているのではないかなと考えます。
>殆んどが「絵を描けない奴は劣等人種」と言いたげな論調が見受けられます。
歴史学者にも、イデオロギーに偏り「トンデモ」な発言を行う輩がいます。それをもって全てを否定するのもおかしな話。
観念論で語られても、問題を収拾できないと考えますので、死狼氏には当掲示板で議論を願うといたし、今後はこちらでの議論は不毛と考えます。
また、こちらのご常連諸氏にも美術不要論を展開するのであれば、この板の趣旨と違うと考えますのでこちらで議論を願うものとします。
Re: はっきりいって不必要! 梅痴鴉 - 2006/09/26(Tue) 07:12 No.99 ![]()
当掲示板に誘導する際に、こちらの記事の転載許可を願います。
Re: はっきりいって不必要! マリヤンカ - 2006/09/26(Tue) 14:42 No.100 ![]()
私は中学高校と英語の教師の当たりが悪く散々な思いをして、何で英語が必要なの?ちゃんと日本語を読んで書いて、喋ることのほうがずっと大切、外国語がやりたければ外国へ行けば?なんて思っていました。ところが、高校生の私の娘はクラシックやロックが好きで、教科の中で英語が一番スキだと言います。今思い返せば、当時心の奥底に英語が出来たらいいなという気持ちもあったかもしれません。でもとにかく「英語」と聞いただけでアレルギーが起きそうでした。好きな絵を描いたりピアノを弾いている時は、たった一人で大海原を航海しているような、あるいは山の中を一人で旅しているような、孤独だけど幸せな気持ちに満たされたものです。
教師との不運なめぐり合わせの後遺症は深いものですね。
でも苦しい時も何か好きなものを持っていると切り抜けられます。
子供が何が好きか、自分の子供であっても親が決めることは出来ません。ですから、ゆったりとした気持ちで見守ってやりたいと思います。
たしかに美術に1とか5とかの評価を付けることには疑問もありますが親までがそれに左右されて一喜一憂しないことが大切じゃないかなと思います。そしてそれは美術だけのことでは無いと思います。
Re: はっきりいって不必要! やまだ - 2006/09/27(Wed) 02:30 No.102
教育って何でしょうね。
私は絵が好きで美しい事が好きで、小中学校では美術といえばと言われる存在でした。
でも、中学の時の美術の先生には苦々しい思い出しかありません。
美術の課題評価が常に良く、勝手に出されたコンクールでは賞を貰っていました。そして彼女は私が教えたのよ扱い。
私はすごく傲慢かもしれませんが彼女に何か教えをこうた覚えがないのです。
(もちろんクラス全員で習う技術や課題のやり方 コンクールに出してもらった事はとても感謝しなければいけないのかもしれませんが...)
果たして彼女は私にナニを教えてくれたのか?
彼女はとても贔屓をする気まぐれで自分の好き嫌いによって生徒を分ける先生として有名でした。
私の兄は私以上に絵が上手く5分で書いた絵でさえ素晴らしい
そんな感覚の持ち主でした。しかし兄は彼女とは最悪に馬が合わなくて美術的な事を一切しなくなりました。(家ではしていましたが...)
そして私自身も馬が合いませんでした。不思議な事に提出物の期限も守り、美術の時間中作業に専念してたいした無駄話もしない。作業が速く終われば誰かを手伝う。そして課題の点数も良い私はなぜか常に通知表の5段階が3だったのですよね。3年間一度を除いて。私より少しコンクールで賞の数が少なくて課題の点数も低いけれども、授業中に声を掛けてもらっている子は5や4を貰っていたのを私は知っています。
ちなみに私は彼女に授業中にここをこうすればなんて声を掛けて貰った事も、提出した時にどうすれば良くなるなんてこと言われたりした事がありません。
もし私が死狼さんのように美術が特に好きでなく、彼女に出会っていたとすればと思うと寒気がします。
私も兄も確実に彼女との3年間はあまり良いものではなかったと思います。特に兄の才能をキチンと見てあげて欲しかった。
そして私自身ちゃんとしたアドヴァイスや美術の勉強をしたかった。
ですが、死狼さんは少し凝り固まった考え方をされていると思うのです。私は数学も科学も苦手です。苦手だし生きていく上では必要がないと思うのです。というよりも学校で習う事なんで何一つないのですよね。本当のところ。生きていく上で重要な事は勝手に覚えるし習って行くものですからね。
でも、死狼さんはお子さんには受験以外に重要でなさそうな事は勉強しなくても良いというお考えみたいですが、それでは人生はつまらないと思いますよ。こんなにも色々な人がいる世の中です。例えば、お子さんが将来社会に出て、とてもお金が稼げる職業に就かれたします。でも美しいものも楽しいものも体の神秘も知らないのではそのお金が一体どこにいくのでしょうか? 芸術鑑賞も運動も訓練ですよ。本をずっと読んで来なかった人が一冊の本を読みこなすのが難しいのと同じです。
芸術の面白さは物事の見解が変わることだと私は思っています。
人生は一度きりです。一度の嫌いでずっと何かを憎んで生きていく事はとても寂しくて損な事だと思います。
私は今、久しぶりに過去の辛い記憶と向き合って心の棘が枯れきっていなかった事に少し戸惑っていますが、彼女と出会えた事も縁だと思い感謝しています。早い時期に美術エリート意識のある大人に出会えた事や彼女の周りでの大人の世界。
戻りますが教育とは一体何なのでしょうね。
私は彼女から学んだ事は少しの美術技術と認めてもらえない悲しい感情。そして彼女という人間。
学校ってそういうところなんですよね。
そんなにないですからね。大人数で誰かに教えを請うたり、たくさんの人間と一度に出会えたりする場所って。
無知は恥ではないですが知識や人間は財産ですよね。
美も知ですね。
学校は財産の入り口なのだから
たくさんの窓口がある方が良いのだと私は思うのです。
美術の評価については私もまったくわかりません。
賞を頂いていたり、課題の点数がいつも良かったと書きましたが、私自身は自分の描いた絵も創った物もクラスの中の5人か10人には入っても1番にはなれないだろうと常々思っていたのですが、評価はいつも想像を超えて良いのです。
嬉しかったですが不安だし不満でしたよ。
私以外の「犠牲者」達の為に 死狼 - 2006/09/27(Wed) 23:23 No.103
私は、美術教育に対しての怒りの拳を下ろすつもりはない。
今も付き合いのある学生時代の友人数名、そしてネット等で知り合った友人etcその多くは私と同じ苦しみを味わい、今も「トラウマ」になってる。
あなた方には、「情緒障害児」扱いされた人間の事がわからないでしょうね。
Re: はっきりいって不必要! 山崎正明 - 2006/09/27(Wed) 23:38 No.105 ![]()
しろう様、山崎です。
「「持つ者」達に我々のような「持たざる者」の気持ちなど理解できないであろう。」と言い切ってしまっては、この掲示板にあえて書いた意味がなくなってしまうのでは?しろう様としては。
しろう様の投稿されたことがきっかっけで、美術教育の実践上の課題や問題点について改めて深く考えてみたくなりました。
とりあえず、私のブログにて次のような記事を書いてみました。
http://yumemasa.exblog.jp/5766491/
教師との不運な出会い 山崎正明 - 2006/09/28(Thu) 00:03 No.108 ![]()
マリヤンカ様ややまだ様が書かれた「教師との不運な出会い」これもまたおおいに参考になる意見でした。後遺症あるいはトラウマ、ここに書かれたことは(美術教育に限りませんが)観念的・抽象的な話ではなく具体的ですからリアルに考えることができます。
それにしても評定、あるいは教師の言葉がけなども子どもにてっては強烈であり、それは大人までひっぱることになりそうです。
よく大人の方で「私は絵の才能がなくて…」という言葉のあとうに、やはり成績の話が出てきます。
Re: はっきりいって不必要! corvo - 2006/09/28(Thu) 02:44 No.110 ![]()
死狼さん
私の質問にはお答えいただけないのでしょうか?
美術教育に対する怒りの拳を、どこへ下ろすおつもりでしょうか?死狼さんの苦しみは、この世から「美術教育」がなくなることで全て解消されるのでしょうか?ゴールはどこにあるのですか?
前の書き込みで「ご家庭の教育方針に関しては、私は否定も肯定もしません。ご自身の責任で信じる道を全うされればよいと思います。」と書きましたが、訂正いたします。やはり子供さんに対して、絵を描く行為を規制することはよくないことだと思います。
「「情緒障害児」扱いされた人間」とおっしゃいますが、死狼さんは自分の子供に同じことをしようとしているのではないでしょうか。もし、恨みがあるなら、直接その教師にぶつけるべきだと思いますし、自分の子供を道具にするのは問題が大きいと思います。
この掲示板でのやりとりを私のブログでも扱ってみました。
http://www.studio-corvo.com/blog/karasu/archives/2006/09/post_234.html
非常に反響が大きく、色々な方がとても真摯な意見を書き込んでくれました。もし、時間がありましたら覗いてみてください。もちろんコメントしていただいてもかまいません。
質問に答えていただけることを願っております。
Re: はっきりいって不必要! hakusuke - 2006/09/29(Fri) 00:31 No.114
某県の県立高校にて,美術を指導している美術講師です。私は,講師といった立場上,教員選考試験に向けての勉強と,教育といったことに目を向けなくてはいけません。特に,美術といった教科を受験していることから,しろうさんの投げかけたこの言葉は,今後教壇に立つべきものの一人として,この課題は真摯に受けとめる必要があると,強く私は考えております。
シロウさんにとって,非常に思い出したくない過去もあるのかと思われます。しかし,詳細を記して頂けたならば,シロウさんが指導を受けた内容をもとに,私たちは自分の指導を見つめ直さなくてはいけません。また,教師はこれらの不快感を与えてしまった指導内容を反省し,授業内容・助言内容・評価を含め検討もしなくてはいけません。そうでもなければ,シロウさんのような経験をされた児童・生徒達は増え続けることになるでしょうし,非常に苦しい思いを強いられることとなるでしょう。同時に,このような経験を少しでもなくなることを願い,学校といった場に勤務するの者は,授業を見つめ直さなくてはいけないのです。
具体的に掲示板に記すのも辛いことと思われます。可能な限りでかまいません。何をもって教科に対する不快感を与えてしまったのか?今後大いに参考にすべき課題なのです。是非コメントを記していただけることに協力願います。
Re: はっきりいって不必要! 田中清代 - 2006/09/30(Sat) 20:53 No.115 ![]()
私は美術教育は必要という立場なのですが、部分的にしろう様のご意見には共感があります。私自身、下手なりに絵を仕事にしています。イラストレーターなのですが、美術畑に片足を突っ込んでいる(時折美術画廊で個展をする)関係で、美術の作家さんとお話をする機会もあります。そのときに、美術家のかたの少々排他的と思える言動に出会うことがあります。(「こういうのは絵とは言えない」等。もちろん悪意がある訳ではなく、アドヴァイスとしてなのですが)私が不思議になるのは、一人一人の信念や感じ方と、絶対的な価値を混同してしまうということが起こるのはどういう経過、経験によるのだろうか、ということです。
一人の美術教師の価値観には、その人が受けた美術教育が大きく影響していると思います。美術の場合はかなり、教師の側に客観性が必要で、生徒にも、教師は一つの立場をとっているのであって、絶対的なものではないと知らせることがある程度必要ではないかしらと思います。
Re: はっきりいって不必要! Kay - 2006/10/01(Sun) 13:30 No.116 ![]()
死狼さんの書かれていることは、学校の根本的性質に関するものであり、生半可なことでは対処も改善も不可能と思われます。
問題は複雑ですが、ここでは1つだけ言わせていただきます。
多くの方が「教師とのめぐり合わせが悪かった」「教師の当たり外れがあった」「不運であった」などと言いますが、このような発言はあまりに異常で信じられませんね。
車を買ったらブレーキが利かず、人をひき殺し、自らも腕や脚の1本、2本失うのを「当たり外れ」「不運」とは言いません。これは「犯罪」です。
もちろん、教師も人間であり、欠点があるのは当然ですが、美術にしろ、数学にしろ、苦手というのではなく、一生に渡る嫌悪感を不当に与えたなら犯罪です。それだけの権限が与えられているのですから、責任を負わされているのは当然でしょう。死狼さんが書かれた通り、これは教え方が下手でそうなったのではなく、教師のエゴやそれを自制できないことに起因し、それは立派な犯罪と言えます。また、そこまでの欠陥人間を教壇に立たせ続けた学校の責任も重大です。
学校とは、かくのごとき犯罪が日常に行われる異常な場所であるということです。
美術教育がどう、個々の教師がどうの問題ではありません。
●corvoさんへ
何か頼みごとをするのは勝手ですが、相手がそれに従わないからといって難癖を付けるのは間違いではないでしょうか?
質問に答えないことがさも悪いように印象付けようという書き方に、見ているのも辛い、人間の悲しい性質が見えますよ。
私も死狼さんに全面的に賛成する者ではありませんが、死狼さんの言いたいことは十分に分かり、死狼さんが現実世界でどんな人であるかとか、ましてやどんな学部を出たかなんて馬鹿げたことを死狼さんが書く必要なんてないじゃないですか?
また、美術教師に具体的にどんな行為をされたかなんて、あれだけ書かれていれば十分と私は思います。
●田中清代さんへ
バランスの取れたお考えに敬服しますが、学校とはそのようなことができる場所ではないと私は考えております。
もちろん、口先では学校側も何とでも言うでしょうが、死狼さんが書かれたようなことはいくらでも見当たり、現在の学校制度が続く限り、なんら解決はされないはずです。
美術という素晴らしいものの価値を無くさないためには、せめて学校での美術教育を無くすことしかないと私は考えます。
あまりに悲観的で、私も気が滅入るくらいですが、それが現実と思います。
掲示板の書き込みについて 山崎正明 - 2006/10/01(Sun) 14:48 No.117 ![]()
この掲示板では反対意見や批判意見を排除するという考えはありませし、様々な意見があってこそと思っています。
ただし、投稿内容で「欠陥人間」「犯罪」「異常」「人間の悲しい性質」などの他者の考え方を批判するのではなく、人格を否定する発言が出てきました。良識ある意見のやりとりの中では不適切と判断します。この掲示板をこのような場にしたくはありません。
山崎先生へ Kay - 2006/10/01(Sun) 19:46 No.118 ![]()
「人間の悲しい性質」が、corvoさん個人に関することであると思われるかもしれないことについては、私の意図するところではありませんが、確かに私の思慮のなさです。大変に申し訳ありません。
corvoさんにも、不快な思いをさせたようであればお詫びいたします。
しかし、その他の部分に関しては撤回の意思は全くありません。
ここの発言者の話に登場した教師は欠陥人間であり、異常であり、行為については犯罪と認識されることが望ましいことと思います。
ただ、やはりここは私の発言場所としては相応しくないのかなあと思います。あくまで学校教育側のものですのでね。今回の、そしてこれまでの山崎先生の発言からも、それは強く感じています。
そういう意味では申し訳ありません。やはり今後は自分のブログで行うこととします。
Key様へ 山崎正明 - 2006/10/03(Tue) 01:34 No.121 ![]()
「学校とは、かくのごとき犯罪が日常に行われる異常な場所である。」と言われて冷静でいることは難しかったというのが正直な気持ちです。しろうという方がこのようなことを書くならまだわかりますが…。言論の自由もありますし、そう思う方もおられるのは仕方がないでしょう。
私の授業を見てもそうおしゃるのでしょうね。ならば、相手が違う気がします。もっと大きなところを相手にしたほうがよいかと思われます。
KEY様のブログも時々読んでいます。中学生のときの思い出も読みました。
ご自身のブログで今後この問題を扱われるということ、わかりました。また時々読ませていただきます。
ただ、このしろう様の書き込みによって他の方の意見がいろいろ聞けたことについてはよかったなあと思っています。
議論を拝見して ken - 2006/10/04(Wed) 00:11 No.122 ![]()
教育に関しては素人ですが、一連の書き込みを拝見した上で、自分なりの意見を書かせていただこうと思います。
議論は、「○○が悪い」という結論に収束すると、そこで終わってしまいます。
「これからこうして行きたいですね」とか、「こうなったら理想的ですね」という建設的な意見を出し合うための議論を行なうならば、最初から「○○が悪い」という議論は無意味だとわたしは思います。
私事で恐縮ですが、わたしはcorvoさんと同じ高校で美術部に属し同じ美術の先生から学びました。しかし、このころはわたしにとっては思い出したくない過去です。
当時、もっと絵がうまくなりたいという思いから、厳しく理不尽な教えに耐えていましたが(恩師には申し訳ないですが)、あるときから急速に美術を嫌いになり、この世から美術なんて消えればいい、技術立国の日本に美術教育はいらないなどと、若気の至りで思い込み、美術とは直接関係ない技術者への道を選びました。
このころ美術で救われたと言われるcorvoさんとは正反対。救われるどころか、立ち上がれないほど深く傷つき、自分はなんで絵なんか好きになったのかさんざん悩みました。同じ先生から学んでも、こんなに差があるのです。だから、単に「教師が悪い」なんて結論に話が収束するのは、わたしは反対です。
その後、メーカーで働くようになりましたが、徐々に顧客対応に追われるようになり、収入の割に精神は荒んできました。そんなとき、なんとなく東京のある美術館に行き、美術作品の持つ凄まじい力を改めて感じ、何か救われたような気がしました。それからというもの、乾いた心を潤すかのように、週末はひたすら出かけて様々な美術館に通いつめました。
次第に日本は技術立国とは呼べない状況になりました。それが日本人の根拠のない己の技術力への過信から来ていたことは、技術者になって身にしみて感じました。そんな工業に疲れたわたしを救ってくれたのは、普遍性のある美術でした。
もし、わたしが美術教育を受けていなかったら、高校時代に美術部に属していなかったら、おそらくこうして救われたことはなかったと思います。
教育は、すぐ効果が出るものばかり重要視されますが、長い年月を経て効果を発揮する場合も多々あると思います。また、感受性の高く、知識の吸収が速いときに教育を受けるから効果があるわけで、長年経って必要性に気付く年齢に達したときには、ある意味手遅れなのだと思うのです。
美術教育は無駄だ、と思うのは人それぞれだと思います。ただ、もしかしたら予想外に伸びるかもしれない可能性の芽を摘むのは、その子の長い人生においてゼロ、またはマイナスになってしまうような気がします。
なお、このような議論は、わたしがイラストを描くことで携わっている理科の「化学教育」でも同じように行われています。必要ないと言われているのは、美術教育だけではなく、産業に結びつく教育も決して例外ではないことを、最後に付け加えさせていただきます。長文失礼いたしました。
Re: はっきりいって不必要! 田中清代 - 2006/10/06(Fri) 17:03 No.123 ![]()
ここへ来て、美術の先生、もしくは教育そのものを否定する気持ちが集まってしまっていることを残念に思います。(かくいう私のコメントもそれに近いものでした。)現行の教育システムを批判する事も必要かと思いますが、教育の現場というのは、一人一人の教師が、体当たりで生徒と時間を共有することではないでしょうか。そのたとえば1時間の授業には、周りからのいろいろな圧力がかかるでしょうけれども、基本的には教師の自由にかかっていると思いますし、それゆえ、今の教育システム云々のために良きものをあきらめてしまうのは早すぎると思います。私の友人にも教師が多く、みな生徒と一緒に成長しているな、苦労しているな、と思います。
私が出会った先生は、美術の知識や技術はちっとも無かったけれど、私の「絵を描くのが好き」というところをすくいあげて、体育が苦手で自信をなくしかけていた私に、自信を持たせてくれました。小学校の2年生の担任の先生です。先生のために当時はやっていた「あさりちゃん」という漫画の絵を描いたんです。漫画の絵ですから、美術の専門の先生なら、ひょっとするとマイナスの批評をしたかもしれないけれど、その先生は、「とてもいい絵だね」と言って、折に触れて「あの絵、大事にしているよ」と伝えてくれました。そんなことでも、美術が好きになれたんだなあ、という良き思い出です。
Re: はっきりいって不必要! おおがき - 2006/10/10(Tue) 21:21 No.125
大分活発な論議が交わされていますが、横から一言。
もう50年以上も前のことですが、実は私も中学時代、美術教師に潰されかけた経験者です。それは今でも私の中でトラウマとなっていますが、幸いにも死狼氏のリアクションとは反対方向へ向かいました。決して子供たちにはこのような絵画指導をしてはならないと。
私は十数年、幼稚園で絵画指導をしてきましたが、その指導の出発点をここに置いてきました。よく研究会では絵を描かない子対策が話題になることがありましたが、私が担当している間、ただ一人のADHDの子を除いて、絵を描かない子、嫌いな子には出逢いませんでした。先のスレッドで申し上げたように、幼児は生得的に内発的に描画活動を行うのだと確信できたのもそれ故です。
どうして幼児期にこれほど好きな描画活動が、成長するにつれ弱まってきたり、死狼氏のように極端に忌み嫌う人が出てしまうのか。それはもっと多様な世界が広がり始めるから、という理由だけでは納得できないものがあります。
ですから文化的な側面だけでなく、「なぜヒトは絵を描くのか」という命題を生物学的、進化学的に総力を上げて解明しなければならないのではないかと、考え続けています。
これからは決して死狼氏や私のようなケースを作ってはならないという自戒を含めて。
Re: はっきりいって不必要! 悟 - 2007/01/22(Mon) 14:58 No.169
まーもうこの意見交換も不毛ですね。
面白いやり取り、拝見させていただきました。
高麗石 投稿者:高麗石 投稿日:2006/10/28(Sat) 20:56 No.133 ![]()
数年前、学校5日制に成る時、先に削られたのは美術、音楽の時間だったと思います。
永大鉱業は高麗石、百済石の製造元です。
滑石原石と鋸で別注サイズも出来ます。
勾玉石も作ってます。
良い品質で安価な材料も美術教育を大切にする事だと思います。
売り込み見たいになりましだが、美術の先生が永大鉱業を知りましたらいいな〜と思いました。製造元 工場ですので、何とかと便利で、間に合います。
どうぞ、ご参考してください。
Re: 高麗石 山崎正明 - 2006/10/29(Sun) 02:45 No.134 ![]()
こういう情報はありがたいです。お願いなのですが、できれば御社のホームページに、石を掘っている場所や掘っている様子が公開されると、ありがたいなと思います。それぞれの石が自然からの恵みだと実感出来るからです。そういうことも授業で触れる事ができれば、子どもの意識を違ってくると思うのです。
また製品の写真や標準的な価格が示されていたら、さらにありがたいです。よろければご検討ください。
Re: 高麗石 hakusuke - 2006/11/04(Sat) 17:27 No.139
高麗石様
上の内容に重複しますが,ご容赦ください。中・高生は,非常に石や木を削って制作する活動を大変好む生徒が多いです。私の授業でも,高麗石を用いて抽象彫刻?勾玉石を用いて勾玉づくりに取り組ませてきました。表現活動で,時間をかけて,丁寧に制作を進めることは,自分の作品・ものに愛着をもつことが養われるかと感じております。
可能であれば,石の写真と標準価格が画像で公開されているならば,さらに教材研究をする上でも,検討しやすいです。よろしければ,ご検討いただきたいです。
Re: 高麗石 高麗石 - 2006/11/19(Sun) 12:19 No.145 ![]()
http://magatama.at.webry.info/
永大鉱業の 滑石、勾玉、高麗石 写真があります。
価額は 永大鉱業 ホムページの お問い合わせに 問い合わせてください。良い製品で、安価です。
滑石原石を鋸で切ってる製造工場ですので、彫刻に使える滑石の切りっ端等がおまけで付いていきます。
この間、ある大学校の先生はおまけの石を標本(?)に使うと
和紙に手紙を書いてくれました。
美術、芸術は心の糧ですね。
興味深いブログですね hakusuke - 2006/12/11(Mon) 23:05 No.150
篆刻を教材として,扱うのに興味が持てたブログです。
さすが専門販売されているないようだなぁ・・・と,石の面白さにきづかされました。ご紹介いただき勉強になりました。
歴史学徒より、美術学徒へのバトン 投稿者:梅痴鴉 投稿日:2006/09/26(Tue) 22:27 No.101 ![]()
諸氏方々、はじめまして。
「はっきりいって不必要!」への疑問を投げかけて、あらためて投稿させて頂きます。
やや社学的、哲学的ではありますが、私の考えを披露させていただきます。
昨今の科学偏重による文系学問の軽視の中で、特に問題としているのは「哲学」の欠如と「美学(美術)」の喪失による情緒の崩壊ではないかと考えます。
あまりよい例ではありませんが、オウム心理教による一連の殺人事件を起こした教団幹部が、実は科学偏重であり、彼らの悉くが「哲学」を含む学問を軽視していた事など述べられています。特に美術の軽視による情緒の不発達と、美学の軽視に自分は警鐘を鳴らしたいです。
自分の場合は下手は下手なりにと絵を書くのは大好きでしたが、百科事典で絵画を眺める事は心が落ち着くし、なんと言っても自分のイマジネーションの発達に役に立つ。この掲示板で常識とされている問題ではありますが、「子供に絵を見せない」のであれば、この情緒に問題が生じるのではないかなと。
まず、オウムの問題を語ると、彼らの教義はあちこちのオカルト・ミステリーからの結合体であり、キメラ化している事はあきらかであるが、なんの疑いもなく彼らの教義を受け入れたインテリ幹部達は、はたして「美」というのが理解していたのか?乃至は「オウム」というキメラを「自分の個性」として受け入れていたのか?ある意味没個性的な面々が、オウムに入信していったことを考えると、美術に於ける「個の確立」「個性を育てる」「情緒性・感受性の強化」という教育を受けていたのかという疑問がたちます。
更に述べさせていただくと、彼らが学生生活に於いて美術を学んでいたとすれば、死狼氏が学生時代に受けたような「個」の確立も「美」も無視した教師に指導されたのかなと考えざるを得ません。
また、昨今の世相でライブドアのような「拝金主義」を誕生させた時に、倫理すら喪失した状況を考えうるに、現在の教育に何か欠けすぎているのではないか、それが「美術(美学)」であり、「哲学」ではないかなと考えていました。但し、死狼氏の言われる教師も問題があるといえばあるでしょう。
>特に美大出身の教師は「変なエリート意識」に凝り固まり、私の様な者を「バカ扱い」します。
というのであれば、個性を引き出すという「美学教育」の基礎理念でもある“教育哲学”すらも欠けてしまったのでしょうか。
歴史に於いても、残念ながら歴史哲学の欠如から極端なイデオロギーに偏在してしまい、問題の本質である「ジン・テーゼ」を見出せない状況を生み出してしまっています。これについては、研究室の外から出ようとせずに、イデオロギーに偏った作家に反論すら試みず、それどころか歴史ファンにきちんとテーゼを投げられなかった歴史学者の罪です。
私は一介の歴史趣味者であり、学徒の末端にいる存在でしかありませんが、死狼氏の投げたテーゼの中で自我すら確立できない現代に於いて、美術教育の重要性を改めて考えさせられた次第です。
Re: 歴史学徒より、美術学徒へのバトン 山崎正明 - 2006/09/27(Wed) 23:51 No.107 ![]()
この掲示板のリンク等ご自由にどうぞ。転載については私山崎のものはご自由にどうぞ。
多角的な視点で、このようなことについて考えるのはとっても大事なことだと思っています。
歴史学との比較論での考察も参考になりました。
どちらにせよしろう様が受けた美術教育がきわめて特殊で一般的には有り得ないと言い切れるかどうか、あるいは自分の中にそのような要素はないか、自問してみることも必要と思います。
Re: 歴史学徒より、美術学徒へのバトン corvo - 2006/09/28(Thu) 02:23 No.109 ![]()
梅痴鴉さん
初めまして、corvoこと小田隆ともうします。
オウムについてですが、強制捜査が入ったとき公開された建物や、建物内部を見たときに、あまりの美意識のなさにあぜんとしたことを覚えています。とにかく美しくなかったと思います。
本来、科学においても美学、美意識が大切だと思っています。私は絵を描く仕事をしていますが、研究者(古生物学者)との関わりが深くかなり密に接しています。彼らにとっても美しいものを感じる心は非常に重要なものなのだと感じることが多々あります。化石を徹底的に観察する眼、形態のわずかな違いを知覚出来ること、その生物が生きていた姿を思い描く想像力など、美術教育によって培うことができる部分が大きいと思います。
学校の教科といっても、それぞれを切り離して考えることは出来ず、全てが密接に関わっているという視点が大切ではないかと思います。
科学偏重? あんねりあん - 2006/09/28(Thu) 11:40 No.111
こちらでは、多分はじめての書き込みになるかと思います。
あまり頻繁に訪問することはできないのですが、
少々気になる言葉がございましたので、意見を述べる次第です。
>オウム心理教による一連の殺人事件を起こした教団幹部が、実は科学偏重であり
どなたのご意見なのかわかりませんが、これは間違っているかと思います。
といいますのも、「科学」というのは、
「何故だろう」「どうしてだろう」と自分で考え
その考える経路として、直感や感情ではなく、
「事実」や今までの経験知識と整合できる「合理性」を重視しするものだと理解しております。
そうしますと、真に科学的立場にある人から見れば
(この場合の科学は自然科学のみならず社会科学も含みます)
オウム真理教の教祖が売りにしていた空中浮揚についても
その写真の真偽について十分考え、
そのいかがわしさに気が付いたものと思います。
しかしながら、
空中浮揚写真やいかがわしい治療方法その他のペテンを見ていても入信してしまった人は
科学的精神が身についていなかったか
あるいはなんらかの理由によって自分で考えるという
自己判断を手放す状況にあったものと思います。
オウム真理教の布教方法や内部統率については、
科学を装ったニセ科学や、人の心理をついたオカルトの手法が見られ
入信した人の中には、大学で化学や医学を学んでいた人は確かに見られますが
それをもってして、「オウム真理教は科学偏重」とはいえませんし
また、その他の学問(芸術とか哲学、歴史他)に秀でた人に入信者がいなかったということもわかりません。
なお、梅痴鴉さま
(山崎さんが"しろう"さんと漢字ではなくひらがなでお呼びするのと同じ理由で、私もこのお名前を漢字で書くのは気が進みませんが、読み方がわかりません)
の、
その他のご意見については、今回は考察いたしておりません。
閲覧する方が、オウム真理教と科学の関係について勘違いすることのないよう
発言の一部のみ取り上げました。
Re: 歴史学徒より、美術学徒へのバトン 梅痴鴉 - 2006/09/28(Thu) 20:41 No.113 ![]()
◆あんねりあん様
はじめまして。書き方寓意が拙かったので誤解を生んでしまいましたが、哲学なき科学は科学にあらずと申したのがよかったかもしれません。
戦前は、中谷宇吉郎や寺田寅彦のように「美」を意識した科学者や、戦後も湯川秀樹のように「科学哲学」とも言うべき論を述べた学者がおられたも、美学・哲学といった理念を意識した教育を受けたからこそという考えで書きました。
◆山崎正明様
レスありがとうございます。
自分が学生時代の美術教師は「放任主義」で、成績に「劣」はつけませんが、そのかわり個性重視で「書きたいもの・作りたいもの」を重要視しました。
考古学は門外漢ですが、「史前芸術」という本(戦前の本で絶版)では、旧石器や土器などの様式等書かれているそうです
◆corvo様
>学校の教科といっても、それぞれを切り離して考えることは出来ず、全てが密接に関わっているという視点が大切ではないかと思います。
自分のころは「詰め込み教育」のころですが、バランスの取れた教育を受けていたという自覚はあります。というより、詰め込んだ物のバランスがよかったのかもしれません。
どの教科も、不要というものはないと断言してもいいのではないでしょうか。
Re: 歴史学徒より、美術学徒へのバトン おおがき - 2006/10/21(Sat) 21:53 No.132
あんねりあん様
>といいますのも、「科学」というのは、
「何故だろう」「どうしてだろう」と自分で考え
その考える経路として、直感や感情ではなく、
「事実」や今までの経験知識と整合できる「合理性」を重視しするものだと理解しております。
あんえりあん様の文脈とはかけはなれますが、この部分についてのみ申し述べれば、こうした思考の方向性については、長らく西洋科学の中で支配的でしたね。しかし、アントニオ・ダマシオ教授の「ソマテックマーカー仮説」(『生存する脳』日本語翻訳出版200年)以来、人間が最も合理的な判断をするには、感情や直感が非常に重要な役割を果たすことが注目され出し、その後それに類する研究論文も多数出ています。
しかも、科学史に名を残す発見の多くは、3B(bath,bus,bed)で成されたとさえ言われ、偉大な科学的発見が、こうしたリラックスした場所で、まずひらめき――直感から始まったことは広く知られていることです。
論理性と非論理的感情や直感を切り離すことは、一見合理的にみえて、その実非合理的だとは言えないでしょうか。
芸術や感性の世界も、ロジカルな世界も、共に私たちの灰色の脳細胞の活動であってみれば、関連性は絶無の関係では無く、対極的に分離するとすれば、それは単に便宜上のものにすいぎないと、私は受け止めています。
日本では、西洋哲学的概念の「クオリア」(誤りを恐れずに日本語に置き変えると東洋哲学的概念の「感性」)を脳科学的な研究テーマとしている方として、茂木健一郎教授がいますね。
指導の時、性差を意識しています? 投稿者:おおがき 投稿日:2006/07/20(Thu) 20:03 No.76
前回はあまり大上段な論議になってしまい、反省しています。
今年69歳。残り短い人生ですが、現役で頑張っていらっしゃる先生方に少しでもお役に立てるメッセージを送れれば、そしていろいろな論議のきっかけが作れればと考えての投書です。他意はありませんので、お許しを。
既に先生方の間でも話題になっているでしょうが、最近、学力低下の一因が性差に配慮しない一律指導にあることが突き止められました。アメリカでは学力低下、ADDモドキを防ぐために男女別学に動き始めてさえいます。日本での学力低下も、必ずしも授業時間の多寡だけが原因とは言えなくなってきました。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4794214952/250-5374460-7300256?v=glance&n=465392
美術教育領域で世界でもユニークな性差の研究をしているのは、ご存じのように皆本二三江先生。早速このアメリカの研究についてお話しましたら、性差による色の好みの部分で先生のご研究が引用されているが和訳するに当たって先生の名前を出さなくていいかと、出版社から連絡があったとか。
ご本人が「私の研究は時代に逆らっているので」とおっしゃるように、皆本先生の研究への注目度は、美術指導に携わる方々の間でも低かった。でもそれも風向きが変わってきました。ここらで、一度性差の再確認をしてみませんか。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4487722039/250-5374460-7300256?v=glance&n=465392
私も実は自然派。30年ほど小中学生グループと5日間のサマーキャンプを尾瀬・戸倉で続けています。山崎先生はじめ自然派も多いようですから既にお気付きの方もいらっしゃるでしょうが、ネイチャリングにも性差が出ますね。同じ体験メニューを用意しても、ジェンダーレスでやると男女間で落差がでて結果が半減してしまい、せっかくのチャンスが大人の自己満足に終わり兼ねない。
この件については、この板のテリトリーから外れますが、もしお許しいただけるのなら、また時を改めてお話します。
Re: 指導の時、性差を意識しています? 山崎正明 - 2006/07/20(Thu) 22:00 No.77 ![]()
おおがきさん、新たな視点でのお話をいただけるのは、ありがたいことだと思っています。この掲示板では美術教育についてやはり様々な視点から論じられることを望んでいますから。性差を意識して指導するということはないです。もちろん性差は感じます。ただそれが、生まれながらのものか、周囲の環境によってつくられたものか。脳の働きという部分では考えてみたいと思っていましたので、興味深いです。
とりあえず、皆本先生の本を注文しました。
ところで、おおがきさん、よろしければ機関誌のことなども興味がありますので、そのあたりもよろしければ、教えてください。
おおがきさん自然派と知り、何だか親しみを感じました。
Re: 指導の時、性差を意識しています? おおがき - 2006/07/21(Fri) 21:23 No.79
山崎先生、ご関心を持っていただき有り難うございます。
私が皆本先生とお近づきになったきっかけは新井康允先生の『脳から見た男と女』でした。この本に新井先生と皆本先生の対談が載っておりました。私が男なるが故に女の子の絵に偏見をもっていたことを深く反省させられたのですが、何分のご時勢でしたから、これまでは自分で責任を持つ子供たちにのみ限定して、研究会でも話題にすることを控えていました。今回風向きが変わってきましたので、ここで初めて話題にしました。
下記URL。こちらは対談なので、分かりやすいと思いますのでご紹介。
http://search.jword.jp/cns.dll?type=lk&fm=101&agent=1&partner=Excite&name=google&lang=sjis&prop=500&bypass=0&product_type=
この違いはすぐ身近に実例がたくさんあるのに、そういう目で見ないと気が付かない。皆本先生はマリー・ローランサンの男性肖像画を例にしていますが、最近はやりのコミックでは女性の描き手がたくさんいます。そのはしりともいうべき「ベルバラ」もそうですが、登場する男はみんな共通してなで肩の、いってみれば宝塚の世界。男性「性」ではないんですね。これが女性画家に共通した生得的画風の一つ。習得的に修正がきかない。にもかかわらず、いろいろな絵画展やHPに載っている子供の絵を見ると(これらは選者が介在するからその人の鑑賞力や価値観の問題も含まれる)、性差にかかわらず構図には男の子の特性が、色使いには女の子の特性が如実に出ている。生得性が未成熟な小さい子ほど顕著ですね。これは不足する部分を補うという点で一見指導の勝利にも思えますが、いつか多様な価値観を見失い「私」という主語をも見失いはしないかと心配になる。美術教育の勝利なのか陥穽なのか。世の女性画家や漫画家にはその影響が少ないとすると、あるいは小さい頃、大人の想いに反逆したが故に、その特性と「私」を見失わなわず今があるのかもしれません。
性差を意識しだすと重いテーマになりますね。だから大いに論議を呼びそう。
機関誌についてのリクエストですが、実は美術教育ではなく音楽教育系の機関誌なので、この板で触れることは遠慮させていただきます。しかし、この会が推進する指導法では、今回の性差配慮指導という点では、無意識、無認識ながらずいぶん前から経験智的に配慮をしていたのだということを、今回サックス先生の本から、いくつもの点で認識させられました。
こうした他分野とのブリッジ作業が現在の私の務めと心得ており、早速記事に取り上げました。ただ、教育はいかなる領域であろうと、最終目標は人育という1点に収束するんですよね。そういう意味でも美術以外の世界と接触することは、無上の喜びでもあります。木から森へ、森から木へ。
Re: 指導の時、性差を意識しています? おおがき - 2006/07/21(Fri) 21:40 No.80
失礼。新井先生の著書、ご紹介しましたURLでは出ませんでした。在庫切れのようなのですが、講談社のBLUE BACKSなので図書館にはあるとは思います。
Re: 指導の時、性差を意識しています? 山崎正明 - 2006/07/27(Thu) 02:58 No.81 ![]()
おおがきさん、「絵が語る男女の性差―幼児画から源氏物語絵巻まで 」注文して届きました。妻がこの本を先に読みました。(妻は美術の作家であり、学校の心の相談員というのをしています)今日、深夜に帰ったら、妻が私待ち構えていてこの本について語ってくれました。簡単にいうと霧が晴れたような話でした。私によい本だと言っていました。性差の特質を知っていて、指導するのとそうでなのとは違うだろうという話もしました。今日の夜から7月3日までは東京に行きますので、まだ読めませんが、帰ってから是非読ませていただきたいと思っています。
Re: 指導の時、性差を意識しています? おおがき - 2006/08/01(Tue) 13:15 No.82
山崎先生へ
「何が人を幸せにするのか」
ジェンダーについての情報が、メンタルケアをされている奥様のお役に立てて何よりです。
奥様が抵抗なく皆本先生の説を受け入れらけたのは、皆本説の根底は女性の性特性を「負」ではなく「正」として捉えているところに共感されたからだと思います。このような視点から女性の特性を主張した例がこれまで少なかったですね。
男性側からこういう説が出ると「男性の横暴」としか受け取ってもらえませんでした。女性の擁護者としての立場から、ジェンダー問題を捉える視点は非常に貴重な存在だと思います。やはりこのような主張は女性から出していただくのが最良の道だと感じて、これまで皆本先生の研究を及ばずながら支援してきたのですが、どうも日の目を見るまでには至りませんでした。
昨日(7月31日)恒例の5日間の尾瀬サマーキャンプから帰って参りましたが、そこへこのサマーキャンプの卒業生で、名門私立女子
高の2年になる女の子がアシスタントとして参加しました。小学1年のある女の子が私の耳もとへ口を寄せて「あのお姉さん先輩は、本当は男なんでしょ?」と聞くのです。大人より子供のほうが性差に敏感なんですね。立ち居振るまいから話し方まで、男の子そのものだったのです。極論かもしれませんが、作られたジェンダーレス現象の典型ではないでしょうか。
要は「何が人を幸せにするか」ですよね。彼女にとってそれは本当に幸せな人生を約束してくれるのでしょうか。とても心配になってしまいました。そこで彼女に助言しました。3年後には美しい蝶に変身して戻ってきなさいと。これって、男性の横暴でしょうか。
ついでながら絵の世界に戻ると、ライフワークとされていた『だれが源氏物語絵巻を描いたのか』(思草社2004.9)を上梓された後の皆本先生の研究テーマは幼児の描く人体「頭足人」(終戦前に出た漫画・タンクタンクロウのような絵)です。この辺りを探る中から「人はなぜ絵を描くのか」が解明される糸口が出てくるのではないか、あるいは次世代の人がその解明に取りかかるきっかけにもなるのではないかと期待しております。
またまたついでですが、私は広く使われている「子ども」という分け書きに違和感を感じていて「子供」書きを使っています。過去のいきさつはどうあれ、現代では「子」と「供」は一体化して一つの言葉になっているのですから、木に竹を継ぐような分け書きには私の美感が拒絶しているためで、決して差別用語として使っているわけではありませんので悪しからず。
そういえば、宮城県知事が幼保一元化関連条例を出すに当たって周囲の反対を押し切って「子供」書きを採用したそうで、気を強くしております。
人はなぜ絵を描くのか 投稿者:おおがき 投稿日:2006/07/02(Sun) 12:48 No.73
初めて投稿します。
私の専攻はグラフィックデザインでしたが、この掲示板にご登場の皆様よりもっと早い時期、幼稚園のお絵描き教室で長年指導を担当してきた経験があります。現在は指導は引退していますが、幼児教育系某協会の機関誌の編集長をしておりますので、幼稚園や保育園の現場にはかなり精通しているつもりです。
「人はなぜ絵を描くのか」この命題に指導現役時代から取り組んでおりますが、この分野の研究は世界的に不毛なようで、呪詛説、臭い付け説、さらに最近ではニコラス・ハンフリーのコミュニケーションツール否定説、歓び説などがありますが、いまだに説得力に富んだ学説に出合いません。
いずれにしても幼児の描画活動(あえて私はこの時期の絵に「絵画」という言葉を使いませんし、手放しの幼児画賛美主義でもありません)は内発的活動の要素が大きいことから、遺伝子に組み込まれた人類共有の機能だと確信しています。
ところが、かつて「10歳のカベ」と言われた現象がどんどん前倒しされて、すでに幼児期末期にカベが立ちはだかるようになり、このカベ打破に非常に苦労させられました。つまり今の環境では、遺伝的内発的活動が十分に成熟しないまま外発的活動へと移行してしまう傾向が顕著になってきました。
一方、幼児教育では、大袈裟にいえば歌とお絵描きに明け暮れるほど、学校などと違い絵や工作のウエイトは大きいのがふつうですが、それを指導する先生たちは平均年齢も低く、新陳代謝も激しい世界です。ライフワークとする人はごく限られた一部でしかないのが現状ですから、描画活動に造詣が深い先生もまず希少です。
常々思うのですが、このように生得機能を十分に発揮できず基礎固めもされないまま学校へ上がっていく子供たちを引き継いで指導しなければならない学校の先生方のご苦労を思う時、それはさぞや大変なことだろうとお察しいたします。
私が担当していましたのは週1回1時限でしたが、それでも内発性に的をしぼった上で理にかなった指導であれば十分に手応えは感じられました。要は教育は子供の発達段階に応じて、それぞれ適切な教育が行われていて初めて、全体としての結果が現れるものだと理解しています。すると、学校時代の先生方は、いわば土台工事が手抜きされたまま、その上に建物を造る役割を担わされているのですから、決して思うような結果を得られないであろうことは、容易に推察されます。
この掲示板では、小中学校における美術の時間割り当て削減問題を論じておられますが、それ以前にこのような基本的問題をどうするか、子供の幸せを望むなら、こうした教育行政区分を超えた連係プレイをいかに構築していくかを論じ検討することが不可欠ではないでしょうか。
最近こうした人がまっとうに成熟する環境が大きく阻害されだして、ローレンツの唱えた人間「自己家畜化」論が注目され始め、そのような流れの中にあって、生得性、感性(この場合、ふつうの概念ではなく、東洋哲学的概念)の重要性を説く有識者が多くなりました。その中でも九州大学名誉教授、井口潔先生(医学・人間科学)は「私は医学者だが科学は嫌いだ。科学は人を幸せにしない」「文明のための教育に与せず、生きるための教育を行うべし」「高い知性を求めるなら、まず高い感性を養え」と提唱しておられますが、深い感銘を受けました。
生得性機能育成にはタイムリミットがあります。なんとか幼児期から始まり思春期を迎える10歳までのタイムリミットまでに、きちんと生得的機能を育成できるような環境が整えられれば、小中学校においてはそれをさらに大きく発展させることも可能になってくるのではないかと考えております。
「人はなぜ絵を描くのか」この生得機能のナゾ、指導現場から離れた現在も、私の追い求める命題です。
最後に「鑑賞指導」が話題になっているようですが、私の行った幼児への鑑賞指導について一言。
従来幼児には抽象概念は分からないといわれ、鑑賞についても抽象画は除外される傾向がありましたが、一方では、抽象画に対する反応は非常に高いことも知られていました。私が古典から現代画までのさまざまな絵を用意して実験した結果、幼児は具象画にはまったくといっていいほど関心を見せず、むしろ抽象画に強い関心を示しました。その中でも特に関心が高かったのはミロの作品でした。
こうした実験から得た教訓は、まず抽象画から鑑賞を始めて徐々に具象画へ進むべきという、これまでの順序とは逆になりました。
なぜ幼児は抽象画に関心を示すのか? 表現主義以降の現代画は内発性に強く立脚しているが故に、幼児の内発的感性と非常に共鳴しやすい。いってみれば田中多聞先生が音楽療法で唱えた「同質の原理」に相当するものではないかと、考えています。
Re: 人はなぜ絵を描くのか 山崎正明 - 2006/07/07(Fri) 22:04 No.74 ![]()
おおがき様、はじめまして。この掲示板を立ち上げたスタッフの一人です。貴重なご意見ありがとうございます。実は深い内容ですので、簡単には返信できないなあなどと思いつつ今日になってしまいました。
おおがき様がご指摘された「遺伝的内発的活動」という言葉ははじめて聞いた言葉です。ただ言葉から考えまして、興味を持ちました。私もぼんやりとは考えていましたが…
今、小学校1年生を担任する先生から「最近は絵を喜んで描く子が減って来たように思う」というお話を何度も耳にしています。これは幼児期の体験、絵に限らずですが、に問題があるのでしょう。
そういう視点から幼児期の教育がいかに大切であるかということを私も強く思っています。私はブログ「美術と自然と教育と」を運営したいますが、実は幼児期の教育の記事も多いのはこうした思いがあるからです。
http://yumemasa.exblog.jp/
またご指摘されている、感性を豊かにして行くことが結局は知性を高めていくと私も確信しています。早期教育も盛んですが、恐さわを感じます。私は親になったかたがたにも、教師にもカーソン女史の「センスオブワンダー」をすすめています。
さて、幼児期の教育とりわけその造形的な活動の重要性については、もっと啓発していく必要があると感じています。
よろしければ、おおがき様にもネット上でいろいろ御発信いただければ、ありがたいと思っています。
そういう意味でもこの掲示板への書き込みも大変ありがたいものだと思っています。
Re: 人はなぜ絵を描くのか おおがき - 2006/07/09(Sun) 11:24 No.75
レス、有り難うございます。お言葉に甘えてまた書き込ませていただきます。
「内発的描画行為」という概念につきましては私の勝手な造語でして、戸惑われたご様子なので少し経緯をご説明致します。
古くは終戦直後に発足した創造美育協会が自由画の時だけに出る子供の描画特性に着目して、自由画指導を推進したことは既知の知見ですが、まだその特性自体を表わす言葉は用意されませんでした。
幼児がリアルタイムで目に映ずるものがなくても描画し、なおかつ自分の心の内にある潜在的想いを形や色に託して表出する能力について、最初は便宜的に「能動的描画」とし、対極に「受動的描画」を置いていましたが、その後意外やごく身近にそれを言い表わした概念があることに気づきました。
それはEXpressionとImpressionでした。日本語で表現、印象といってもその本質的な違いがそれまで響いてきませんでした。片や内から外へ、片や外から内へという流れを英語ではぴったり言い表わしていることに気づいて、それ以降「内発的」と「外発的」と言い表わすようにしました。
このきっかけは、今は倉敷美術館長になっておられる高階秀爾先生の「表現主義」についての解説文でした。先生は「表現とは内部のものが外に向かってほとばしり出るものを指し、印象とはまったく反対の意味である。そこでは正確な再現性より表現の力強さが求められる。……とすればそれは、ある特定のグループの美学というよりも、芸術表現の上で歴史上つねに存在したある傾向と言ったほうがよいであろう」(1987.3.22 朝日新聞)の一文でした。つまり、内発的描画は、表現主義だけの独創的活動ではなく、生得性を基底にしている機能であることをうかがわせます。
その後、幼稚園の先生対象の研究会などでお話する際、この言葉を使い始めました。
またこの行為を言い表わしているのは、ご紹介いただいたブログの「美術の言葉」にありましたシャガールですね。幼児の鑑賞実験に使った絵の中でも、ミロと並んで子供の興味を強く引いたのも、シャガールでした。
ですから、なぜこのような機能が遺伝子に組み込まれたのか、それが私の命題になってしまいました。
懇意にしていただいでいます武蔵野女子大名誉教授・皆本二三江先生(美術教育)とは機会がある度、この点についてディスカッションしていますが、この幼児の無意識で内発的に行う絵を、文化的美術作品の中に含めてしまうと、幼児画の本質を見失ってしまう恐れがあるという点で意見の一致がありまして、従来著書に掲載する絵で慣例で使われていた「作品-1」のようにキャプション付けすることを、幼児画についてはお廃めになりました。
ちょっと長文すぎたので、1度に送れませんでした。
また日を改めて、感性についての最先端科学の現状について有力な情報と風向きについて書き込ませていただきます。
ありがとうございます。 投稿者:かん 投稿日:2006/04/25(Tue) 22:43 No.70
ありがとうございます。全国の研究会や実践が紹介されていて、勉強になります。新年度から新たな生徒と格闘しながら授業をしていますが、きっと解決策が見つかると信じています。アメリア・アナレスさんの鑑賞も興味深かったです。ぜひ、今後もすばらしい実践例などを紹介していただければ、幸いです。
アメリア=アレナスさん来日しています 山崎正明 - 2006/06/09(Fri) 20:12 No.72
アメリア=アレナスさん来日しています。先日埼玉で授業がありました。そのレポートを紹介します。
http://yumemasa.exblog.jp/4924901/
そして夏には岡山でも。
http://yumemasa.exblog.jp/4947170/
研修の場 投稿者:かん 投稿日:2006/04/24(Mon) 23:01 No.68
ご無沙汰しております。先日はホームページを紹介していただきありがとうございます。いろんな場をきっかけにぜひ、勉強を続けていきたいと考えています。もし、よろしければ、だれでも参加可能な研修会があれば、教えていただきたいのですが・・・。今年度、予定されている研修会で参加可能なものの情報を集めています。
Re: 研修の場 山崎正明 - 2006/04/25(Tue) 00:17 No.69
かんさん、お役に立てたらうれしいです。今、まさにそのようなニーズに対応したいと考え,「図画美術教育すくうえあ」というブログを仲間3人で運営しています。そこで紹介されたものはたいていの場合、事前に連絡を取れば参加可能だと思います。
http://user.biken.dyndns.org/square/blog/
上記にアクセスされましたら、右にありますカテゴリーの項目をクリックしてみてください。美術教育情報日本一をめざしています。大げさかな(笑)
うーん、いつまで続くのやら。Link - 転職ならen|転職ならエン|派遣ならen|アルバイトならen|履歴書ならen|紹介予定派遣ならen|求人ならen|転職支援ならen
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